2008年11月12日水曜日

「哀愁の浦安に霧が降るのだ」



私の場合は20代のほとんどを浦安ですごしました、思い出深い街です。

大阪の大学を卒業し、銀座界隈の広告会社に就職が決まりまして、東京に向いました。

初任給で住めるアパートを探していたのですが、銀座は東京湾側つまり東側に

位置しているので、西側に住むとなると都心を横断しなければならず

通勤時間を考えてあきらめました。

東側となると湾岸地帯、今人気のスポット豊洲エリアなど当時は完全に港湾倉庫街

といった趣で、とうてい住む場所など無いような有様でした。

そんなことでどんどん東に向かって行くと賃料も安くなり、

このあたりなら住めそうだと下りたところは浦安市。

もう東京じゃないじゃん。



1989年はJR京葉線西船橋新木場間が開通したばかり。アパートから自転車で

開業したての真新しい舞浜駅に向い、青い車両に乗って新木場へ、そこで駅有楽町線

乗り換え会社の最寄「新富町駅」まで通っていました。



広告会社の仕事はハードで、新入社員といえども終電はあたりまえ、

たまに早く上がれても先輩社員に呑みに誘われ、新富町の安居酒屋で一杯引っ掛けると

またもや終電となる始末。

終点の新木場では駅員に起こされて、なんとか京葉線に乗り込むも爆睡。

(全線開通前の京葉線は空いていて座れたのです)

普通のオチですと、降り過ごして終点「蘇我」まで行ってもた、になるのですが

小心者の私は爆睡しながらも心のどこかで「寝たらアカン、寝たら」という警戒線が

張られていたのです。



「※×△■&$#”~!」駅のアナウンスが半落ちの脳裏に響く。

目の前には閉じかけた電車のドアが、ヤバイ降りなければ!

すんでのところで、電車から飛び降り、その勢いでホームの階段を数段駆け下りました。



周りを見渡すと誰もいない。ン?おかしいぞ。

ホーム階段脇の壁には実物大のマグロの写真。

ヤバイ、と思って振り返ると終電のドアは非情にも閉まり。プシュー。



ああ、やってもた。ここは一つ手前の「葛西臨海公園駅」。

人っ子一人いない夜の葛西臨海公園にはタクシーの人待ちなどありません、

酔い覚めた身体に夜風を浴び、R357の側道を歩き家路に着くしかなさそうです。



そして、そこには舞浜大橋から旧江戸川の川面に映る冬の月を眺め、

今月2度目の終電葛西臨海公園駅下車を悔やむ私がいました。

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